この稿の文案を考えている頃、図らずも耐震強度の偽装事件が発覚しました。あってはならないこと、そして考えも及ばない事件が起きました。こんな事件が何故起きたのか、すべての人が驚きと疑念をもって建築を見ています。事件のからくりが明らかになるにつれて、この問題の広がりと深さを考えさせられます。私は、こんな風に見ています。いまの世の中、何事も「安く、早く」が求められています。
今回の事件はまさにこうした社会の風潮が露骨に表れたといえます。「安く、早く」は、当然厳しい競争を生み、競争に勝つためには倫理観すら薄らいでしまうのです。まさに競争社会の結末といえます。問題のマンションやホテルは、外観特に玄関やエレベーターホールなどを豪華にし、安全を犠牲にして見せかけの美しさを競っていると指摘されています。ここには、見かけの綺麗さが商品価値を決めるという美意識が支配しており、建築も商品として扱われています。
清心幼稚園の建築について語るとき、私は建築を商品でなく文化としてみることの大切さを強く感じます。とりわけ今回のような耐震強度の偽装事件にてらしてみて、建築家の仕事のありかたを改めて考え、建築文化の創造に関する社会的責任の重大さを認識した次第です。このような観点にたって、清心幼稚園の建築について 「環境を整える」・「心と記憶を継承する」・「育む空間を創る」という三つの側面から語ってみたいと思います。
環境を整える
建築は規模も大きさに関係なく周辺の環境に関わります。清心幼稚園は、県都前橋の行政の中心、県庁、群馬会館、市町舎、裁判所、城跡、公園など市の歴史的景観を形成する環境のなかに建っています。このあたり一帯は、前橋のなかでは最も景観の整った場所といえます。清心幼稚園もこの環境形成の重要な要素となることは明白でした。とくに、公園側からの外観は、裏側ではありますが、全景が見えるので気配りしています。赤い瓦をのせた切妻の屋根、カーブする大きなガラス面、アートカラーの壁面の扱いは、周辺の風景にとけこむように扱いながら、新鮮な趣を醸しだそうと考えた結果です。東側については、建物が道路境界近くまできていますが、植え込みを設け緑化を図っています。園児の登降時の通用門は、車の乗り降りの混雑と安全のためにゆとりを持たせ、「赤いお部屋の通用門」としました。
コンクリートの園舎と対比させ、木造としたのは親しみ易さを持たせるためでした。
園舎を北側に寄せ、園庭をできるだけ広く確保し、サンデッキから保育室へとつながる南側は透明なガラスによって構成させています。裁判所側からの外観は、赤い瓦とガラスのより軽快な感じとなっています。最近、在来の屋外遊具と連結した新たな遊具ができました。樹木やつる草が延びるとこんもりとした緑の小山になりそうです。公園近くにあるといえ、このあたりの緑は決して多いとはいえません。
緑化を図り、外部環境を整えることがこれからの課題のように思われます。
自然の力を活用することは、いまの建築にとって欠かせぬことです。太陽光、太陽熱、風の動きなどに配慮しています。保育室、遊戯室などは自然の光だけで使えます。風も抜けやすいように窓の位置も考えられています。地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出を削減するために電気やガスの使用を少なくするように努めているのです。「環境を整える」とは、建築の内外にわたっています。
心と記憶を継承する
建築の設計を始める最初の段階で設計者は、その建築の使用目的に沿って平面や構造、設置などを総合的に考え、イメージを膨らませていますが、その時になにか芯になるようなものが必要です。優れた建築には必ずこの芯があるように思われます。単なる建物と“建築”の違いはここのあたりにあります。私が清心幼稚園の設計のなかで“建築”化するために考えたことは、この幼稚園の教育理念である“清心”に相応しい空間を求めることでした。幼稚園というと何故かケバケバした色彩の賑やかな造りが多いのですが、言葉少なく、清楚な表現がふさわしいと考えました。創立110年をこえる長い間に培われた清心幼稚園の気風をどう捉えて建築とするかが問われていたと思います。そこで、Pure Heartをベースにしたイメージを芯に捉えてスケッチを重ねました。設計作業の途中で再三訪れた旧園舎には、歳月を重ねてはじめて滲み出る奥深い味わいがありました。そのことが取り壊すことにブレーキをかけていたこともありました。しかし、老朽化と機能的な限界は何ともし難く新築となりましたが、新築だとしても何もかも新しいのでなく、どこか昔の面影を留めているような建築でありたいと考え続けたのです。その結果、旧園舎の遊戯室の背景にあったフレスコ画(作者石澤久夫)は、玄関ホールに移設され、日々子供たちの目に触れ、同時に主階段ホールの空間を引き締める役割を果たしています。1945年、前橋は戦災に合い、多くの人命と家屋が失われました。清心幼稚園にも1発の焼夷弾が落ち、大きな被害は免れましたが、その痕跡が保育室と廊下の間仕切りにありました。黒田とめ子先生に当時の状況を聞き、その部分を痛ましい戦争の記憶として残したいと考えました。しかし、どのように何処に残すか、工事中ずっと考え、皆と相談の結果、最終的に読書コーナーに決まりました。園児のみなさんは、説明されなければ分からないことでしょうが、戦禍を語り継ぐために役立ち、卒業者には、懐かしい旧園舎の雰囲気を思い出すことが出来ます。
新築にあたって、私は清心幼稚園の教育理念やこれまでの歴史をどのように継承し、これからの人たちに伝えることができるかと考えたのです。
育む空間を創る
“育む”とは、親鳥がひなを覆い包んで育てることだと言われています。このことから幼稚園の空間は、園児を優しく包みこんで自由でのびのびと育っていくように図ることが大切だと考えました。清心幼稚園は、このように考えて設計されています。どの空間も自然光があふれ、透明感と木質の空間です。建物の骨組みは、鉄筋コンクリートですが内装は木を多用しています。太陽光や自然の風の流れを活かしていることは、この建築が自然との共生を目指しているからです。保育室も遊戯室もお天気のよい日は、照明は不要です。一階の廊下から保育室を通して園庭まで見通すことが出来ることによって、視界が開け、敷地の狭さを感じさせません。私自身、完成した園舎の入って強く感じたことです。旧園舎は閉じた空間だったので、園舎と園庭との一体感に欠けていました。この開放感は気持ちを明るく、躍動的にするここと思います。感受性の豊かな子供たちには、なお更のことです。室内空間で最も気配りをしたことは、主階段ホールと遊戯室です。旧園舎も廊下が広くとられていましたが、新築の園舎もそれに習っています。廊下は単なる道路ではなく、コミュニケーションの場として大切な場所です。特に、階段はそうです。北側の公園を視界にいれた階段の広い踊り場は、ステージとしても使うことができます。
遊戯室は、多目的ホールとして考えました。これまでの遊戯室の機能に加えて、講堂や体育館のように使うばかりでなく、ひろく地域社会に開放して多様な文化活動の拠点となることを想定してのことです。高い天井、音響的に配慮された壁面、大きく開くことができる背景の扉は、階段ホールまで一体にして使うためです。三階には、スタッフや保護者のためのラウンジを設けました。緑化されたベランダをとおして前橋中心部の景観が楽しめます。ラウンジを設けることができたことは、とても良かったと思います。ホッとゆとりを感じさせるような空間のしつらえです。
出来上がった建築について語ることは、敢えて必要ないようにも思います。建築とは、見て空間を体験することが大事なことであり、そのことに尽きるからです。しかし、それだけでは作者の意図が通じ難いこともあります。言葉を援用することも時には必要かと思います。そうした気持ちからこの文章を書かせていただきました。
林 昭男(著者・建築家・滋賀県立大学名誉教授)